誰も聴かない音楽は音楽として存在しえるのか?

もう少し上手く文章で表現できるようになりたい月枷(つきかせ)の人です。
哲学的なテーマなようですがそこまで難しい話は書けませんのでご安心を♪

タイトルにあるように、音楽を作ったとして誰もその音楽を耳にすることなかった場合、それは音楽として存在するのか?

学生時代の講義で、「無人島で音楽を作ったとして自分以外に誰も聴かない作品は作品じゃない」というがありまして、それを少し考えてみます♪

音楽は記憶の芸術

私はよく音楽は記憶の芸術だと思っています。

音は基本的に鳴った瞬間に無くなります。
つまり、音楽というのは瞬時に無くなっていく音の連続であり、その集合体を聴いて人は音楽と理解します。

聴いてすぐに無くなってしまう音楽はどこに残っているのか?
それは記憶の中にしかないのです。

絵や彫刻、小説などは物として存在します。
逆に音楽やダンス、演劇などは物として残らず記憶の中にしか存在しません。

録音すれば記憶以外の物として残るのでは?と思いますが、これはまた違う機会に書こうと思います。

ただ今回の「誰も聴かない」という話では録音しても結局誰も聴くことがなかった、という話です。

つまり、本当に自分以外誰もその音楽を聴かないという話です。

物として残るか残らないか

結局のところは音楽は誰かに聴いてもらって、その誰かの記憶に残って始めて音楽として残るのだと思います。

絵や彫刻は誰も目にしないで終わってしまっても、地球上に存在しているのは間違いないです。

これはイースター島のモアイ像が一番わかりやすいですね。
発見されるまで石像は世界に認識されてなかっただけで発見する前から存在はしてました。

イースター島の住人達も音楽はしていたかもしれません。
しかし残念ながら結果として音楽は存在しません。

もし奇跡的に楽譜のようなものがあり演奏を再現したとしても、それは現代の解釈で再現した想像にすぎません。

次にこの話になると楽譜は音楽じゃないのか?という話になります。
詳しくは改めて書くとして、楽譜は音楽を再現するためのメモだと考えます。

例えば当時ベートーヴェンが演奏していた、また聴いていた音楽は楽譜には残っていません。
残っているのは作品であって、音楽ではありません。

つまりベートーヴェンが演奏していた音楽はその時にしか存在しません。

演奏者ならわかると思いますが、全く同じ演奏は二度とできない。
2回演奏したとして、1回目と2回目の音楽が全く一緒かと聴かれれば違うというでしょう。

それは2回同じ曲を演奏したのであって、同じ音楽ではないのです。

まとめ♪

まとめると、音楽は誰かに聴いてもらうことにより存在する。
だから誰も耳にすることのない音楽は音楽として存在しないことになります。

恐竜も存在していたと認識されていますが、今は存在しません。
だれも見たこともなく、記憶に残っていないからです。

ただ化石という物があることで恐竜は存在していたことになりました。
ドラゴンや妖怪は存在していた物がないので、残念ながら存在しないと認識されていると思います。

楽譜という存在があるのでややこしいのですが、
過去の作曲家が残した楽譜があるからその時代に音楽が存在していた、または存在した可能性があると言えます。

もちろん楽器があれば音楽があっただろうと予測できますし、伝記などで記述があれば誰かが演奏していたのでしょう。

不幸なことに録音技術がない時代の演奏家は誰かの記述が無ければ本当に音楽を演奏できたのかすらわからないのです。

ただどんなに証拠が残っていたとしても、その時に鳴っていた音楽は存在しません。
恐竜が今存在しないのと同じように。

音楽は演奏されている瞬間が大切だと思います。
だからこそ録音技術が発展した今現在でさえ、ライブで音楽を聴くのではないでしょうか?

その時に発せられた音はその時にしか存在しない。

そしてあなたの心に響かせ、記憶に残るのです。

 

蛇足

最後に、絵や彫刻、小説と違って音楽の良いところ。
一度に多くの人の記憶に作品を残すことができるので拡散しやすい。

他にも思い出補正などで、聴いた音以上に美化されるのもお得ですね。(トラウマになる可能性もありますが…)

皆さんも折角なので、自分の作品、演奏を多くに人に聴いてもらってはいかがでしょうか?
そしてあなたの作り出した音楽を世界に残しましょう♪

カテゴリーblog , 雑記 , 音楽論

スポンサードリンク

この記事を書いた人 :

私の曲をより広くの人に演奏してらえたら、それはとっても嬉しいなって思うのでした♪ 私の曲は自由に編曲・演奏・その他いろいろ使ってもらって大丈夫です♪ 演奏ユニット:あろきゃに♪(http://arrocany.com/)もよろしくです♪